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【涙☆】・゚・(ノД`)・゚・キーストンよりイイ話 復刻版【☆涙】

1 :名無しさん@お馬で人生アウト:03/10/10 20:35 ID:UyH/B9Xl
【泣かせろ】・゚・(ノД`)・゚・キーストンよりイイ話【酒の肴】
http://gamble.2ch.net/keiba/kako/1027/10275/1027561679.html
【泣かせろ】・゚・(ノД`)・゚・キーストンよりイイ話2【酒の肴】
http://gamble.2ch.net/keiba/kako/1036/10366/1036621571.html
涙がキラリ☆
http://mimizun.mine.nu:81/2chlog/keiba/ebi.2ch.net/keiba/kako/1004/10048/1004847454.html

競馬に関する泣ける話を大募集!

2 :名無しさん@お馬で人生アウト:03/10/10 20:35 ID:ohvbV1dg
糞スレ2げと

3 :デロリン:03/10/10 20:39 ID:iyXih4ag
戸棚から2げっと

4 :名無しさん@お馬で人生アウト:03/10/10 20:43 ID:fBqoIofm
タガノテイオーさん

5 :自爆屋 ◆TC02kfS2Q2 :03/10/10 21:18 ID:LvqPOTJA
上山競馬  ・゚・(ノД`)・゚・
高知競馬  ・゚・(ノД`)・゚・
足利競馬  ・゚・(ノД`)・゚・
新潟競馬  ・゚・(ノД`)・゚・

以下略

6 :1:03/10/10 21:27 ID:UyH/B9Xl
1時間たっても5レスしかつかない
このスレの1こそ・゚・(ノД`)・゚・な気分のわけだが

7 :中村仁美親衛隊競馬板隊長 ◆MINAC4HTn6 :03/10/10 21:27 ID:wmYtDDbQ
3 :デロリン :03/10/10 20:39 ID:iyXih4ag
戸棚から2げっと


8 :デロリン:03/10/10 21:29 ID:3avflVXQ
7 名前:中村仁美親衛隊競馬板隊長 ◆MINAC4HTn6 [sage] 投稿日:03/10/10 21:27 ID:wmYtDDbQ
3 :デロリン :03/10/10 20:39 ID:iyXih4ag
戸棚から2げっと


9 :名無しさん@お馬で人生アウト:03/10/10 22:44 ID:M3FUXzpO
1のリンク先で話が出つくしてる気がする
リンクがなかった方がよかったかも?

10 :名無しさん@お馬で人生アウト:03/10/10 22:45 ID:vvXV8gX+

 とりあえずテンプレでキーストンの話ぐらい紹介しろや



11 :名無しさん@お馬で人生アウト:03/10/10 22:45 ID:5qnK9r1/
うちのお隣さん家のワンちゃんが昨日亡くなった・゚・(ノД`)・゚・

12 :◆9JjpozPNtw :03/10/10 22:47 ID:CJttX+Oc
もうネタがないよ。

13 :名無しさん@お馬で人生アウト:03/10/10 22:52 ID:JQ3OMWXw
キンシストーンを応援するスレはここですか?

14 :名無しさん@お馬で人生アウト:03/10/10 23:16 ID:tazaX7Sb
黒鹿毛の子馬は極めて安産で産まれる事が出来た。
母は片方の腰窪が落ちこんで競走馬として失敗の烙印を押され
繁殖入りした高齢かつ不受胎癖のある馬だった。
生産者は思った。「黒鹿毛の父に良く似ている。」
30分程で子馬も母親に寄りかかるように立ちあがった。
全ては順調だった。

それが急変したのは約2時間後の事だった。
お産に疲れ横たわっていた母馬が多量に発汗し体を暴れさせ苦しみを訴えている。
子宮の動脈が破裂していたのだ。さっきまで極めて順調だったのに・・・・・
まだ、子馬に乳を与えてもいない母馬は出血しどんどん弱っている。
その横で子馬はお腹を空かせて乳をせがんでいた。生産者はそれを押さえつける。

不思議な事が起きた。多量に血を流し息も絶え絶えだった母馬が置きあがり
子馬の方を愛おしそうに見つめる。生産者は息を飲んで子馬を母馬の方へ近づけた。
すると母馬は愛でるように子馬に乳を与えた。嬉しそうに見えた。
そしてほんの数秒後に母馬は崩れ落ちたのだった。
生産者は母馬に死に水を飲ませ自らの無力さを呪った。

それから数年後、その子馬は1200Mの大舞台に最低人気で勝利をもぎ取った。
生産者にとってはじめてのG1勝利だった。
その勝利から1年間程活躍した後、その子馬、ダイタクヤマトは引退し
種牡馬入りする事になった。母馬の名は血統表の中で脈々と生きていく事だろう。
一度しか愛でる事の出来無かった息子のお陰でその名は確かに刻まれたのである。


15 :名無しさん@お馬で人生アウト:03/10/10 23:19 ID:tazaX7Sb
小さくまとめ過ぎたか・・・・・・

16 :名無しさん@お馬で人生アウト:03/10/10 23:20 ID:yeZ0PJr+
キーストンって騎手を踏み殺したんだっけ?

17 :名無しさん@お馬で人生アウト:03/10/11 02:46 ID:baCnYB+p
>14
ダイタクヤマトのそんな話は初めて聞いた・゚・(ノД`)・゚・

18 :名無しさん@お馬で人生アウト:03/10/11 10:11 ID:z9Tcg/q0
>>13
桂きん枝?

19 :名無しさん@お馬で人生アウト:03/10/12 11:18 ID:552XDhmw
[快速キーストン 栄光と挫折]

昭和42年暮れ、12月17日の阪神大賞典。キーストンはダービー制覇以来の盟友山本正司騎手を背に、気持ち良さそうにターフを疾駆していた。
5頭立てということもあって、誰もが快速キーストンの勝利を疑わなかった。それまでの戦績は24戦18勝、2着3回という驚異的なものだったから。
四コーナーを回った時、突然、キーストンの小柄な馬体がラチ内に沈んだ。山本騎手は宙を飛んでターフに叩き付けられた。
キーストンももんどりうって、半転、一転。傍らを後続馬がドドドドと駆け抜けて行く。
キーストンの左前足は完全脱臼。今や皮一枚で繋がっている状態で、立ち上がろうにも全く用をなさない。
彼方では山本騎手が脳震盪をおこして、ピクリとも動かない。騎手の方を向いて首を振りもがいていたキーストンは
三本の足でやっと立ち上がると、一歩また一歩と、昏倒した騎手に向かって歩き始めた。激痛もものかは・・・
馬が三本足で歩くなど想像も出来ない観客は、心のうちに叫んだ。「キーストン、もう歩かなくていいよ!」
「それ以上歩いてはダメだ」 どの馬が勝ったかはもうどうでも良いことだった。実況のアナウンサー松本暢章は涙声となって
キーストンを追った。パドックやインタヴューのアナウンサーでキーストンの最期を看取ったのが、杉本清。
テレビカメラすらキーストンの姿を追いつづけた。歩いてはいけない!最早手の施しようも無い完全脱臼とは人々も気づかない。
まさか完全脱臼の馬が歩けるはずが無いのだ!


20 :名無しさん@お馬で人生アウト:03/10/12 11:21 ID:552XDhmw
キーストンはやっと倒れている山本騎手の所に辿り着くと、
心配げに鼻面を摺り寄せ、二度三度起こして立たせようとする。
人々の目に、それはまるで、母馬が起き上がれない子馬を励まして、
鼻面で優しく立たせようとしている姿に見えた。
山本騎手はその時見た。彼は気絶していてキーストンの骨折を知らなかったが、
ボンヤリした視野の中で大きな悲しそうな目、済まなさそうにしばたたく愛馬の目をみた。
山本騎手はキーストンの摺り寄せてくる鼻面を掻き抱いて「いいよ、いいよ」と撫で、
駆けつけた厩務員に手綱を渡すと、また意識を失っていった。
暫くして甦生した山本騎手は、愛馬の骨折と死を聞いて泣いた。
激痛と苦しみの中でキーストンは、なぜ自分をあんな優しい目で見詰めたのだろう?
別れを告げに来たのだろうか?
テレビで、観覧席で、パドックで、皆、涙してキーストンとの別れを惜しんだが、
一番精神的ダメージを受けたのは山本騎手であった。彼はキーストンと別れてから、
馬に乗れなくなってしまったのだ。「もう騎乗出来ない」。
一時は引退まで考えたと言う。現在調教師の山本正司は、キーストンの話が出ると
今でも涙が止まらないと。山本の親友杉本清は、だから山本の前でキーストンの話しができない。

21 :名無しさん@お馬で人生アウト:03/10/12 11:23 ID:552XDhmw

快速馬キーストンは光とともにターフを駆け抜けて、そして、逝った。

キーストンは父ソロナウェー、母リットルミッジの仔として、
昭和37年3月15日北海道浦河で快速馬の血を受けて生まれた。
子馬の頃は小柄であまり目立たず、歩様はごつごつとしていて、
競馬馬として一回でも出走出来れば上出来、とおもわれた。
取り柄は、とにかく真面目に一生懸命に走ることだった。
しかし、トロットからキャンターに移ると突然流れるような足色となり、
ひょっとして、と思わせるものが出て来たので、
デヴュー時にはペンシルヴェニア鉄道の超特急”キーストン号”の名前を与えられた。
ターフに登場するやその名に恥じず、3歳時にはブッチギリの5戦全勝。
4歳になっても弥生賞圧勝と、デヴュー以来破竹の6連勝を遂げ、
皐月賞の前哨戦スプリングSに臨んだ。この時の対抗馬は、
これも順調に成長してきたダイコーターであった。
結果はダイコーターにゴール前でかわされ、キーストン1馬身半差の完敗。
快速逃げ馬の宿命かとも思われた・・・・・
巻き返しを期して臨んだ皐月賞。一番人気ダイコーター、2番人気キーストンと人気は屈辱の逆転。
結果も、勝ったのは伏兵チトセオー、ダイコーターはそれでも2着でキーストンは
生涯最悪の14着と敗れ去った。「キーストンはもうダメではないか」、
「距離の長いダービーはもっとダメじゃないかな」と囁かれた。
しかし、その後、ダイコーターはNHK杯を圧勝、
キーストンもオープン戦を制して復活の兆しを見せた。


22 :名無しさん@お馬で人生アウト:03/10/12 11:25 ID:552XDhmw
昭和40年5月30日。第32回東京優駿(日本ダービー)当日の空は最悪の状態で、
馬場はドロドロの不良状態だった。この中で、ダイコーターは1.2倍の段トツ人気。
キーストンは遥か離れた2番人気だった。この不良馬場は距離利以上に快速馬には
不利であろうと思われたから、2番人気でありながらかなりの高配当であった。
ゲートが開く。キーストンは果敢に逃げた。逃げた。逃げた。
山本騎手の手綱に応えて大逃げを打ったのだ。差はグングン開いていく。
「飛ばし過ぎ!」 ゴール前でバテバテとなり、ダイコーターにかわされる
スプリングSの再現を想像して、観客はどよめいた。
しかしキーストンは泥を跳ね上げて持ちこたえた。
そのままドドッとゴールになだれ込んだのである。一馬身3/4。
かくして、第32回ダービー馬となって栄光に包まれたキーストンに、
後の悲劇を予感させるものは何も無かった。
しかし、菊花賞をスプリングS同様な負け方をして以来、
キーストンの足は快速馬にありがちの脚部不安に悩まされるようになった。
暫く休んではレースに復帰し、そして勝った。
鞍上には何時もキーストンを気遣う山本騎手の姿があった。
勝ちつつもキーストンの脚部不安も増していった。そしてこのレースで引退という
運命の阪神競馬場・・・・・
トキノミノル、テンポイント、シャダイソフィア、マティリアル、ホクトベガ、
ライスシャワー、サイレンススズカ。幾多の名馬がターフに散った。
中でもキーストンの物語は競馬ファンの感涙を誘い、二度と競馬など見たくないと思わせ、
にもかかわらず、競馬から離れられなくしたのである。
 馬の生涯は長くても三〜四十歳。それにしても、あまりにも美しくはかない、
束の間の輝きであった。


23 :名無しさん@お馬で人生アウト:03/10/12 11:27 ID:552XDhmw
[ひとつの異論]

馬は馬の本能で、乗り手の庇護を求めに行っただけである、という論があります。
そうかもしれない。物言わぬ動物のこととて、その心の奥までは計り知れない。
しかし、山本騎手は一瞬ではあるが、愛馬の心を感じたと思った。
だからこそ、騎乗できなくなりスランプに陥ったし、今でも愛馬の話が出ると
涙を禁じ得ないのでしょう。人と馬の心の交流の証でもあります。
それに、本能であったら、ターフで故障した馬の多くが同じような行動を
取っても良いはずですが、そういった例はあまりありません。
また、「馬が合う」という言葉があります。
これは一見「馬が(乗り手にとって)合う」と考えがちですが、そうではなく、
馬は背中を通して乗り手の力量、人格を見抜くといわれています。
誰でも、という本能ではなく、山本騎手だったから、ということは十分考えられます。
山本騎手は、実は皐月賞14着という惨敗を喫してダービーを降ろされそうになったのです。
皐月賞ではアクセルとブレーキを一緒にかけて馬の気持ちに逆らったことを深く反省し、
ダービーでは「もうそろそろ行くか?」と聞いたら、
キーストンが「まだです。まだです」と答えたと、勝利ジョッキーインタヴューで答えています。
当時は「そんな馬鹿な」と皆笑いましたが、
後に武豊騎乗のサイレンススズカで同じようなことが起こったのです。
サイレンススズカも前足粉砕骨折で無念の最期を遂げましたが、
その時鞍上の武豊騎手はサイレンススズカが自分を振り落とさないために、
痛みを押して転倒しないように踏みとどまった気配をはっきり感じたとのことです。
馬と話しが出来るという武豊ならではのエピソードです。
馬と人との信頼関係を見る時、キーストンが最期に採った行動は十分に頷けるものと言えましょう。

ttp://www2.ocn.ne.jp/~kthr-wf/keystone.htm

24 :名無しさん@お馬で人生アウト:03/10/12 11:32 ID:zwjFoIOZ
>>23
。・゚・(ノД`)・゚・。

25 :名無しさん@お馬で人生アウト:03/10/13 00:24 ID:N4udrfTA
メルシーステージ

 1994年(平成6年)の皐月賞。重賞二連勝を含む四連勝を果たし、
堂々4番人気に支持されたメルシーステージ。晴れの舞台に立った彼には、
自分の姿を是非見てもらいたかった馬が居た。
「兄貴、天国から俺を応援してくれ! そして親父、まだ生きているのなら名乗り出てくれ!」

 メルシーステージには十数頭の兄姉が居るが、その中で一番活躍したのがメルシーアトラであった。
メルシーアトラは87年(昭和62年)に中堅種牡馬サウスアトランティックと(旧)
京成杯3歳Sの勝ち馬マミーブルーとの間に生まれた。彼は3歳時(現表記)にクラシックの有力候補と
いわれながら無冠に終わったものの、古馬となって日経新春杯を制して将来を嘱望された名馬だった。
だが、次走の産経大阪杯で骨折して、そのまま帰らぬ馬となってしまった…。

26 :名無しさん@お馬で人生アウト:03/10/13 00:25 ID:N4udrfTA
 メルシーアトラが亡くなった数日後、メルシーステージは生を受けた。
父は兄と異なりステートジャガーという馬であった。そのステートジャガー、
実はこの頃には行方不明になっていたのである…。
 ステートジャガーは大井競馬でデビューし、南関東三冠レースで好走したのち、東海競馬へ移籍した。
そして古馬となってから、そのスピードを買われて中央入りしたのであった。
 中央初戦のマイラーズカップで最強マイラー・ニホンピロウイナーに肉薄し(2着)、
二戦目の大阪杯では一昨年の三冠馬ミスターシービーを破って優勝した。
 その後、ステートジャガーは宝塚記念へと向かった。
前年の三冠馬シンボリルドルフが故障して回避したこともあり、彼は一番人気に支持された。
だが、いつになくイレ込んでいたステートジャガーは4着と敗れ去った(勝ったのはスズカコバン)。
しかもレース後の尿検査にて、何とカフェイン(当然禁止薬物)が検出されたのである。
 地方から中央にやって来た強豪ということで、ハイセイコーやオグリキャップらと
同じくらいの人気を誇ったかもしれないステートジャガーは、この一件により完全な悪者とされた。
馬が自らカフェインを摂取するわけはないのだが、真相が明らかにならなかった
(禁止されていると知らずに栄養ドリンクを与えたという説や、ライバル陣営による陰謀説など諸説ある)
ため、彼が徹底的に糾弾されたのだった。
 その後ステートジャガーは脚部不安によって休養を余儀なくされた。
だが、一部ではJRAがそのダーティなイメージを嫌って、出走するなとお達しを出したとも言われていた。
いずれにせよ、彼はレースに復帰することなく引退したのだった。
そして種牡馬入りしても、そのイメージから種付け数は伸びず、人知れず廃用となった…。

27 :名無しさん@お馬で人生アウト:03/10/13 00:26 ID:N4udrfTA
 94年の春、500万以下条件のこぶし賞を勝って2勝目を挙げたメルシーステージは、そこから快進撃を開始した。
バイオレットSを逃げ切り、アーリントンカップも逃げ切って重賞初制覇を果たし、
そして毎日杯ではあのタイキブリザードを撃破したのである。
 この活躍ぶりが、やがて大きなドラマを生んだ。
行方不明とされていた父ステートジャガーが、何と種牡馬に復帰したのである。
実際には種牡馬引退後、愛知県の乗馬クラブへと行っていたのだったが、
そんなこと普通の人は知らないから驚いて当然であった。
しかも、普通乗馬となれば去勢されるのが当たり前だが、
ステートジャガーは気性が全く大人しいということで去勢されていなかったのも幸いした。

 名馬だった兄馬の忘れ形見のように活躍し、またその活躍によって父馬に再び光を当てたメルシーステージ。
毎日杯の後は、自分の役割は終えたとばかり凡走を繰り返した
(神戸新聞杯および中日新聞杯2着はあるが、勝利は無かった)が、
競馬にロマンを求める人たち(私も含まれる)に高い人気を誇ったのだった。
 引退後、青森で種牡馬となったが、残念ながら98年の11月に病気の為に亡くなったそうである…。


28 :名無しさん@お馬で人生アウト:03/10/13 10:33 ID:N4udrfTA
ttp://www.geocities.co.jp/Athlete-Rodos/7930/junpei1.swf
ttp://www.geocities.co.jp/Athlete-Rodos/7930/junpei2.swf

「岡潤一郎騎手の墓前に後継者 川島信二騎手の報告を・・・」

「感極まって声が出なかったよ。」
先週の小倉大賞典で、川島騎手の初重賞制覇を見た安藤調教師は笑顔を見せながら、こう話しました。
「川島が重賞を、それも自分のところの馬で勝ってくれた事が、ホントに嬉しかったよ。」
手塩にかけて育てた騎手、岡騎手が落馬事故によって他界してから、今月16日でちょうど10年になります。
思えば、岡騎手の初重賞制覇も、安藤調教師の所属馬、ユートジョージでした。
「あの子の意思を継げる乗り役を育てるのが、あの子への一番の供養」
と、安藤調教師は2001年に川島騎手を預かりました。
クラブ活動で鍛えた下半身、並外れた持久力に素直な性格。
何もかも”あの子”岡騎手に似ていたのです。
「川島も、あの子のビデオを繰り返して見てるせいか、最近は騎乗フォームまで似てきたね。
時々、生まれ変わりじゃないかって思うくらいで。」
と、目を丸くする安藤調教師。
「この重賞勝ちで自信がついたはずだから、これからが楽しみだよ。
偉大な先輩に追いつけ、追い越せだよ。」と、相好を崩す。

29 :名無しさん@お馬で人生アウト:03/10/14 03:28 ID:H52bOnsk
。・゚・(ノД`)・゚・。



30 :名無しさん@お馬で人生アウト:03/10/14 07:46 ID:WVv7uxQZ
カリズマティック

 アメリカの競馬にはクレーミングレースというのが存在する。
これは馬の売却を目的としたもので、出走した馬を見て気に入った場合は
即座に購買することが出来る。価格はレースの時にあらかじめ決められているし、
また基本的に売却を断ることは出来ない(らしい)という。
つまり、クレーミングレースに出走した馬はオーナーに「見捨てられた」と言えるのである。
 ちなみに肝心のカリズマティックだが、なんと2度もクレーミングレースに出され、
しかも2度とも買い手がつかずにオーナーが仕方なく所有し続けた馬だった。
そんな馬がアメリカ最高の舞台・ケンタッキーダービーに出走するのだから。
 そんなカリズマティックの鞍上に選ばれたのが、クリス=アントレーという騎手だった。
クリスはデビューしてまもない頃から大活躍して「天才騎手」の名を欲しいままにしたが、
名声に有頂天になったことと減量に苦しんだことによって徐々に生活がすさみ始め、
ドラッグに溺れて自然と競馬界からフェードアウトした人物だった。
そんな彼が一念発起して復帰を決めた際、カリズマティックの鞍上として迎え入れられたのである。
 正に「見捨てられた馬」と「忘れ去られた騎手」の名コンビがここに誕生したのであった。

 ケンタッキーダービーに出走したカリズマティックは当然ながら全くの人気薄だった。
しかし、人気馬たちが軒並み不利を受けるという展開とあり、
その不利を被らなかったカリズマティックは楽々と抜け出して鮮やかな勝利を収めた。
お客さんはおろか、オーナーもトレーナーも全く予期しなかった勝利だった。
 しかし、鞍上のクリスはカリズマティックの力を正確に捉えていた。
前走をフロック視され人気が無かったブリークネスステークスにおいても、
四角先行から直線抜け出すという横綱競馬であっさりと二冠を達成したのである。
しかも、前走よりも着差を広げてだ。

31 :名無しさん@お馬で人生アウト:03/10/14 07:54 ID:WVv7uxQZ
 カリズマティックの二冠達成はセンセーショナルな話題となった。
「見捨てられた馬」と「忘れ去られた騎手」のコンビがアメリカンドリームを実現させたのだから。
そして、アメリカで二十年以上も輩出していない三冠馬への期待が
否応無く高まったのは言うまでもない。
 運命のベルモントステークスを迎えたカリズマティックはようやく一番人気に支持された。
二冠のレースぶりを見て、三冠は堅いとの声が聞かれていた。
 カリズマティックはいつものように先行し、四コーナーで先頭に立った。
あとは後続を引き離すだけ…と誰しもが思った時、
カリズマティックはいつものような力強い脚を失ったのである。いつものような伸びがない。
場内の悲鳴の中、レモンドロップキッドらに差されてしまい3着に敗れた。
 だが、場内が本当に静まり返るのはこれからであった。
入線直後、真っ先に下馬したクリスはカリズマティックの脚を気遣ったのである。
そう、カリズマティックは直線で骨折していたのだった…。

 「見捨てられた馬」と「忘れ去られた騎手」のアメリカンドリーム・ストーリーは
わずか1ヶ月ちょっとの物語であった。サクセスストーリーで始まり、悲劇で幕を閉じる、
小説よりもはるかにドラマティックな物語だった。
 カリズマティックは重度の骨折と診断され競走生命を絶たれたが、
命に別状はなく種牡馬入りが決まった。そして三冠レースでの活躍が認められ、
年度代表馬にも選ばれた。アメリカそして日本において、きっと彼の産駒は活躍してくれると思う。

 だが、もう一人の主役クリス=アントレーには更なる悲劇が待ち受けていた。
カリズマティックを失った彼は再びドラッグに手を染めるようになり、
再び競馬界からフェードアウトしていった。
やがて、クリスは頭部を鈍器のような物で殴られて死んでいるのを発見された。
 警察は殺人事件と断定して捜査を開始し、数ヶ月後に衝撃的な捜査結果を発表した。
彼の死因は、4種類の薬物を同時に服用したことにより自殺衝動を想起させる幻聴を引き起こし、
自ら頭部を壁などに何度も打ち付けたことによる出血死であると…。




32 :名無しさん@お馬で人生アウト:03/10/14 13:31 ID:kBLWAFU2
■チゴイネルワイゼンにっき
http://www.geocities.co.jp/Athlete-Rodos/7930/chigoine.swf
。・゚・(ノД`)・゚・。

33 :年度代表予想家 ◆qPDcbNm58. :03/10/14 14:06 ID:f7cJw8Rp
イスタブラク
サドラーズウエルズ産駒の期待馬で、最初はヨーロッパの名門ジョン・ゴスデン厩舎から平地デビューした。
しかし、ほとんど目が出なかった為、ゴスデンは、イスタブラクが5歳の時に売ることを決意する。
そのとき、その年の秋に厩舎を構える予定で、馬を集めていたゴスデン厩舎の調教助手ダーカンは、
ゴスデンにこの馬は障害馬として成功すると言い、自分の厩舎で引き取ることにした。

ところがダーカンは白血病に襲われ、厩舎を持てなくなってしまう。
そこで、ダーカンは友人のエイダン・オブライエンに「この馬はチャンピオンハードルを勝つ馬だから頼む」
と言ってイスタブルクを託しす事にした。
ダーカンの病気は予想以上に進行していたが、イスタブルクがチャンピオンハードルを勝つまではという
執念から、危機を何度も乗り越えて生き伸びる。
イスタブラクはというと、障害デビューをはたし、どんどん勝ち進み、ついにチャンピオンハードルも狙える
という所まで出世する。
しかし、ダーカンはイスタブルクがチャンピオンハードルに出走する4日前についに力尽きてしまう。

そんな中行われた、チャンピオンハードルでイスタブラクは見事優勝を飾る。
競馬場に集まっていた人はそれまでのいきさつを知っており、観客は涙しながらジョン・ダーカンの頭文字を取った
JDコールが沸き起こった。
そしてイスタブルクの口取りをし、調教師として表彰を受けたのは、残されたダーカンの奥さんだった。

その後もチャンピオンハードルを連覇するなど大活躍し、生ける伝説となったイスタブルク。
しかし年齢とともに力が衰えていく。そんな中行われた最後のチャンピオンハードル。
力が落ちたとはいえ、スターホースのイスタブルクは人気を集める。
そしていよいよレースがスタート。
しかしジョッキーは勝てないと見ると途中でレースでやめてしまう。イスタブルクの故障を恐れた為だ。
この行為に対し、お金に関して厳しいといわれる同競馬場の観衆は、スタンディングオベーションでジョッキーを迎えた。

34 :名無しさん@お馬で人生アウト:03/10/14 15:22 ID:kBLWAFU2
韓国と日本との関係
 韓国の競馬は日本人によって導入されたために、日本を競馬先進国として日本の競馬レベルに近づこうと
努力しています。日本が欧米を先進国と呼んでいるのと大きな違いがあります。内国産だけで競馬ができな
い韓国は、欧米やオセアニアだけでなく、昔は日本に足を運び大量にサラブレッドを購入していました。日本
のサラブレッドが高くなりすぎて手が出なくなったために今でこそ購入に出向かなかったものの、他国が目を
向けなかった格下の日本サラブレッドを買っていた初の海外の国ということになるでしょう。また、内国産競走
馬のレベルアップをはかるための種牡馬導入の時も、今でこそ欧米の種牡馬をトレードしていますが、最初
は日本の種牡馬の寄付から始まっています。
 韓国のサラブレッド生産の99%を行う済州島にある韓国馬事会の育成牧場で、1984年に日本のダービー
馬コーネルランサーがチョンドファン元大統領来日を記念し、大統領の持ち馬(種牡馬)として生活したのが
はじまりです。韓国が競馬の生産を始めたのが1984年ですから日本との深い関わり合いがこれでわかりま
す。種牡馬として血を残すほどの成功をする前に1991年に老衰で死んでしまい成功したとはいえませんで
したが、大統領をふくみ多くの人々からかわいがられたそうで、育成スタッフがコーネルランサーに餌をあげ
るためにスピード違反で捕まっても、警察に事情を言えば切符をきられなかったというくらいです。ただ、気
性がはげしくスタッフは手を焼いたらしく日本のサラブレッドは気性難と最初は思われていたそうです。

35 :名無しさん@お馬で人生アウト:03/10/14 15:26 ID:kBLWAFU2
 その後、1990年にダービー馬ラッキールーラ、カツトップエースと菊花賞馬のプレストウコウ、
マルゼンスキーを父に持つヤマノスキーが韓国に寄付されることになりました。渡ってすぐの
1991年にラッキールーラは牝馬を見て発情し柵にぶつかり大怪我をし、安楽死処分が取られ、
同じくカツトップエースが股関節炎の悪化による起居不能の衰弱死してしまいました。ヤマノス
キーに関しては詳細は不明です。死亡した馬たちは子供達を多く残せずに死んでしまい、種牡
馬としては成功したとはいえませんでした。プレストウコウは初年度は高齢という理由で5頭の
種付けで終わりましたが、牧場を移してからは元気で20頭前後の種付けができるようにまでな
りました。なお、牧場を移されたと書いてある文献にヤマノスキーのことがふれられていないの
で91年か92年に死亡したと考えるのが打倒かもしれません。プレストウコウはその後1994年に
老齢と失明による安楽死処分をとられましたが、韓国の年度代表馬を輩出するなどの成功を
おさめ、また、日本からファンの老夫婦が韓国まで会いに来るという人気ぶりで韓国の競馬界
をわかせました。

日本ダービー馬コーネルランサー→種牡馬として血を残すほどの成功をする前に1991年に老衰死亡
日本ダービー馬ラッキールーラ→渡韓直後の1991年にラッキールーラは牝馬を見て発情し柵にぶつかり大怪我をし、安楽死処分。
日本ダービー馬カツトップエース→股関節炎の悪化による起居不能の衰弱死。
菊花賞馬のプレストウコウ→20頭前後の種付けができるようにまでになり年度代表馬を排出。1994年に安楽死。
ヤマノスキー→91年か92年に死亡?
マチカネアレグロ→韓国 到着後疲労が著しく衰弱死

エアダブリンは?。・゚・(ノД`)・゚・。

36 :名無しさん@お馬で人生アウト:03/10/14 18:31 ID:NOX2g+pT
これってだいたいコピペなのかな?

俺は良い話を知ってても打ち込みを考えると
しんどくていつも止めてしまうよ、、、、


37 :名無しさん@お馬で人生アウト:03/10/14 22:49 ID:tO67iSny
キーストンのレースをnyで拾った。



(つД`)

38 :名無しさん@お馬で人生アウト:03/10/16 09:46 ID:2B8Ww/ia
。・゚・(ノД`)・゚・。

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